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東京地方裁判所 昭和56年(ワ)5463号 判決 1984年11月27日

原告 竹田寛次

右訴訟代理人弁護士 寺坂吉郎

同 守田和正

被告 旧姓 笹山 通場保江

右訴訟代理人弁護士 逸見剛

被告 張超文

<ほか一名>

右両名訴訟代理人弁護士 原謙一郎

同 大政満

同 石川幸佑

同 大政徹太郎

主文

被告らは原告に対し別紙物件目録一記載の建物を明渡し、かつ、各自昭和五六年四月九日から右明渡ずみまで一か月金五万五〇〇〇円の割合による金員を支払え。

被告通場保江は原告に対し別紙物件目録二記載の建物を明渡せ。

被告通場保江は原告に対し金一五九万八〇〇〇円及びこれに対する昭和五六年六月七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告と被告張超文及び被告張何貞英との間においては、原告に生じた費用の五分の一を右被告両名の連帯負担、その余を各自の負担とし、原告と被告通場保江との間においては、原告に生じた費用の二分の一を右被告の負担、その余を各自の負担とする。

この判決の第一項中金銭支払を命ずる部分並びに第二及び第三項は仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告

被告らは原告に対し別紙物件目録一記載の建物(以下「第一建物」という。)を明渡し、かつ、各自昭和五六年四月九日から右明渡ずみまで一か月金六万円の割合による金員を支払え。

被告通場保江は原告に対し別紙物件目録二記載の建物(以下「第二建物」という。)を明渡し、かつ、昭和五六年四月九日から右明渡ずみまで一か月金四万円の割合による金員を支払え。

被告通場保江は原告に対し金三一〇万二〇〇〇円及びこれに対する昭和五六年六月七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決並びに第一ないし第三項につき仮執行の宣言

二  被告ら

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者双方の主張

一  原告の請求の原因

1  原告の亡父竹田源次郎(以下「源次郎」という。)は、第一、第二各建物(以下、両者を合わせて「本件各建物」ということがある。)を所有し、亡笹山直「以下「亡直」という。)に対し、昭和五年ころ第一建物を、同一五年一二月一日に第二建物を、いずれも期間を定めないで賃貸した。

2  源次郎は昭和二〇年一一月三〇日に死亡し、原告がこれを相続して、本件各建物の所有権を取得し、かつ、その賃貸人の地位を承継した。

また、亡直は昭和四八年二月二七日に死亡し、妻の被告通場保江(旧姓笹山。以下「被告笹山」という。)がこれを相続して、右各建物の賃借人の地位を承継した。

3  亡直は、昭和四二年四月七日、被告張超文(以下「被告超文」という。)に第一建物を転貸した(以下これを「本件転貸」という。)。

4  原告は、昭和五六年四月八日到達の書面をもって、被告笹山に対し、右転貸を理由に、第一建物の賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。

5  被告超文及び同張何貞英(以下、右両名をあわせて「被告張両名」ともいう。)は、ともに第一建物に居住し、かつ、同建物一階店舗において中華料理店「三久」を経営して、同建物を占有している。

6  源次郎は、亡直を信頼して、第一建物とあわせて第二建物を同人に賃貸し、同人死亡後も、原告は被告笹山を信頼して賃貸を続けていたのであるが、亡直は第一建物を無断転貸し、被告笹山は、原告に対し、第一建物の店舗で働いている被告超文は亡直の経営していた笹山商事の使用人であり、同被告に同建物を転貸しているものではない旨虚偽の事実を述べて、無断転貸の事実を隠蔽した。亡直及び被告笹山の第一建物についてのこのような行為は、第二建物の賃貸借契約の基礎となる信頼関係をも破壊するものである。よって、原告は、被告笹山に対し、前記4の書面をもって、第二建物の賃貸借契約をも解除した。

7  仮に右6の主張が容れられない場合には、原告は、予備的に、被告笹山に対し、本件訴状(昭和五六年六月六日送達)をもって、第二建物に対する賃貸借契約の解約申入れをする。そして、右解約申入れには、以下の正当事由がある。すなわち、第二建物は、昭和三年ころ建築されたものであるため、その老朽化の程度が甚だしく、大規模な修繕又は改築を行う必要があり、それ故に、原告にとって右建物の明渡を受ける必要があるのに対し、被告笹山は、すでに長年右建物に居住せず、他所で生活し、右建物を空屋にして荒れるに任せているのであって、同建物を使用する必要は全くなく、これを明渡しても不利益を被ることはない。

8  仮に右7の主張も理由がないとしても、被告笹山は、第二建物の賃借人として、これを善良な管理者の注意をもって保管し使用する義務を負うところ、同建物は前記のように古いものであるが、同被告は、昭和五〇年ころ又はそれ以前から現在まで同建物に居住せず、これを空屋にして荒れるに任せ、そのため同建物の老朽、損耗の程度は甚だしいものとなっており、同被告のこのような所為は、同建物に対する重大な保管義務ないし用法遵守義務違反であり、長期間にわたる右義務違反の継続は、原告との間の信頼関係を破壊する背信行為であるから、原告は、本件訴訟における昭和五七年五月七日付準備書面(同日の第一二回口頭弁論期日に陳述)をもって、被告笹山に対し、右義務違反及びこれによる信頼関係の破壊を理由に、第二建物の賃貸借契約を解除した。

9  本件各建物の賃貸借契約の存続中、租税その他の負担の増額などの諸事情により、従前の、第一建物につき月額三万八〇〇〇円、第二建物につき同二万九〇〇〇円の各賃料額が不相当となったので、原告は、昭和四八年四月ころ、被告笹山に対し、同年六月分以降の賃料を第一建物につき月額六万円、第二建物につき同四万円にそれぞれ増額する旨の意思表示をした。

10  しかるに、被告笹山は、昭和四八年六月以降も、本件各建物の増額前の賃料月額合計六万七〇〇〇円を供託するのみであり、したがって、右増額請求後の賃料月額合計一〇万円との差額三万三〇〇〇円の同月から昭和五六年三月まで九四か月分の総額三一〇万二〇〇〇円が未払である。

11  よって、原告は次の各請求をする。

(一) 被告らに対し、所有権に基づき、第一建物の明渡と、賃貸借契約解除後の昭和五六年四月九日から右明渡ずみまで一か月六万円の割合による賃料相当損害金の各自支払

(二) 被告笹山に対し、所有権又は賃貸借契約終了に基づき、第二建物の明渡と、昭和五六年四月九日から右明渡ずみまで一か月四万円の割合による賃料相当損害金の支払

(三) 被告笹山に対し、前記10の賃料の増額による差額三一〇万二〇〇〇円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日の昭和五六年六月七日以降民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払

二  被告笹山の答弁

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の内、源次郎の死亡の日及び原告の本件各建物の所有権取得の原因は知らないが、その余の事実は認める。

3  同3については、第一建物の内一階北側部分約三・七五坪を転貸の対象から除外しているが、その余の事実は認める。

4  同4の事実は認める。

5  同6の内、源次郎及び原告が本件各建物を亡直及びその死後被告笹山に賃貸してきたこと並びに原告がその主張の書面をもって被告笹山に対し第二建物の賃貸借を解除する旨の意思表示をしたことは認め、その余の事実は否認する。

6  同7の内、第二建物が昭和三年ころ建築されたものであることは認め、その余の事実は否認する。右建物は、亡直が賃借して以来、自ら度々補修、改良をしていて、現に人が居住するのに何らの支障もなく、大規模な修繕ないし改築を行うために被告笹山を強制的に立退かせるまでの必要はない。また、被告笹山は、亡直の死後経済的に困窮し、被告超文から第一建物を返還してもらって自ら食堂を経営し、生計を維持したいと考え、同被告に返還を求めており、同被告に対する明渡請求訴訟では敗訴したものの、なお機会があれば明渡を得たいとの希望を失っていず、それが実現すれば、第二建物に居住する必要はいっそう強まるが、現状においても同建物を自己の住居として使用する必要がある。

7  同8の事実は否認する。

8  同9の内、昭和四八年四月当時の賃料月額が第一建物につき三万八〇〇〇円、第二建物につき二万九〇〇〇円であったことは認め、その余の事実は否認する。第二建物は、昭和三年ころ建築された、床面積が九一・一三平方メートルの居住用建物であるから、賃料額について地代家賃統制令の適用を受けるものである。また、第一建物は、大正一三年に建築されたものであるが、後記抗弁1(三)のとおり、亡直において自己の費用負担で修理、改良工事をしているのであり、適正賃料額を定めるにはこの点を斟酌すべきである。

9  同10の内、原告主張の金額の供託の事実は認める。

三  被告張両名の答弁

1  請求原因1及び2の事実は認める。

2  同3については、第一建物の一階裏側部分四坪を転貸の対象から除外しているが、その余の事実は認める。

3  同4の事実は知らない。

4  同5の事実は、一階裏側部分四坪の占有を除いて、これを認める。

5  同9の事実は知らない。

四  被告笹山の抗弁

1  (転貸の承諾)

(一) 源次郎は、訴外竹村勝に対し、第三者に賃借権を譲渡し又は賃借物を転貸することができるという約定で、第一建物を賃貸し、同訴外人は、同建物の一階店舗で菓子店を営んでいたが、昭和五年、亡直に、賃借権及び営業権を譲渡した。

(二) 戦争の激化につれ、昭和一九年ころには、源次郎所有の数十軒の貸家の内半数位が空屋になり、借家人のいる所も家賃の支払状況が悪くなったため、源次郎は、亡直や、その実母笹山リキ、被告笹山等と顔を合わせるたびに、「人に貸して住まわせてもよいから、本件各建物の家賃だけはきちんと払ってくれ。」とくり返していた。

(三) 第一建物は、昭和二〇年一月二四日、米軍機の空襲で付近に落ちた爆弾のため、屋根が吹き飛ばされ、二階の床が抜け落ちるという被害を受けたが、亡直は、自ら全費用を負担して、屋根、柱、床、窓ガラス、畳等を補修しあるいは取替えて、もとどおり使用できるようにした。また、同人は、そのほかにも、右建物の柱の取替、出入口ドアの取替、屋根のトタンの張替に要した費用の半額を負担し、更に、費用の全額を負担して、昭和一八年ころ、本件各建物の便所を簡易水洗式に直し、同一〇年ころ、第一建物の脇の第二建物へ入る通路の側溝にU字溝を埋設し蓋を取付けた。しかも、本件各建物の賃料は当初から一般相場より高めであったのにかかわらず、亡直は、二年ごとに五割増額の要求に応じていた。このような事情から、源次郎は、亡直に対し、第一建物を転貸することを明示に承諾していたのである。

2  (黙示の承諾)

原告は、亡直に対し、以下の事情により、本件転貸を黙示に承諾していた。

(一) 亡直は、前記1(一)のとおり、前賃借人竹村勝から営業を譲受けて、第一建物で、和菓子の製造、販売店「竹村」を経営し、その後使用目的を変更し、旧海軍省の連絡駐在所、喫茶店、同人の設立、経営する東京貿易株式会社及び村上粘土株式会社の各事務所、麻雀店、レストラン等として使用して昭和四二年に至ったが、源次郎及び原告は、これを認めて、何ら異議を述べなかった。

(二) 亡直は、昭和三七年から、第一建物においてレストラン「三久」を始め、訴外永島豊子をマネージャーとし、同人の内縁の夫ら数名を従業員としていたが、昭和四二年二月ころ、同人が健康上の理由でやめたため、その後任として、同人の推せんした被告超文を採用した。しかし、同被告から、家賃のほかに収入のいくらかを払ってもよいから、自分に中華料理店をやらせてほしいとの申出があり、亡直は、自身が他の業務に繁忙であったためもあって、これに応じ、同年四月七日、第一建物の内一階奥の一部を除く部分を同被告に転貸した。

(三) 被告超文は、それ以来現在まで第一建物一階店舗で中華料理店を営み、二階に妻の被告張何貞英及び子二人と居住しているが、原告は、転貸の当初から、義兄の亡藤森貞夫、母竹田春枝や支配人等から聞いて転貸の事実を知っていたのに、亡直死亡後の昭和五〇年七、八月ころまで八年余の間、亡直や被告らに対し、転貸借について全く触れることがなかった。

(四) 遅くとも昭和五〇年七月八日付の原告の信書では、原告が転貸の事実を知っていたことが明らかであるが、右信書も、賃料の増額請求に関するもので、転貸についての異議を述べたものではない。

3  (代理人の黙示の承諾)

原告の義兄藤森貞夫(以下「藤森」という。)は、源次郎の死後、昭和五三年一二月七日に死亡するまでの間、原告の差配として、原告から第一建物を含む原告所有の家屋及び土地の賃貸借に関し、賃貸人のなすべき一切の事項につき包括的な代理権を与えられ、原告のため不動産の管理全般を行っていた。そして、藤森は、源次郎の死後、株式会社竹田組の代表者になり、昭和四六年三月ころ、同会社において亡直から練馬にビルを建設する工事を請負い施工するなどして、同人と互いに相手の事情をよく知り抜いた間柄にあったことから、昭和四二年四月に本件転貸がなされた事実をも当時知っていたにもかかわらず、転貸を止めるよう催告するなど異議を述べることなく、本件転貸を黙示に承認していたものである。

4  (背信性の不存在)

仮に、転貸についての明示又は黙示の承諾がなかったとしても、以下の事情により、本件転貸については賃貸人に対する背信行為と認めるに足りない特段の事情がある。

(一) 前記1(一)及び2(一)のような使用状況について、源次郎及び原告が異議を述べたことはなかった。

(二) 前記1(二)のとおり、源次郎は、亡直に対し、昭和一九年ころ、本件各建物の転貸を勧めていた。

(三) 前記1(三)のとおり、亡直は、第一建物の空襲による破損を自己の費用で修理し、その後も本件各建物の保存・修理・改良に努め、しかも割高な賃料の支払に応じてきた。

(四) 亡直は、前記3のとおり、源次郎が設立しその女婿の藤森が経営を引継いだ株式会社竹田組に練馬のビル建設を請負わせたが、その際、通常ならば請負金額が一三〇〇万円くらいの工事内容のところを、代金一六〇〇万円として、同会社に利益を得させた。

(五) 原告は、亡直と源次郎ないし竹田組との関係を考え、亡直の生存中は格別不当な要求をすることはなかったが、同人が死亡し、被告笹山が一人身になるや、ただちに賃料の受領を拒否し、その値上げを要求した。同被告は、亡直の死亡により生活の途を失い、しかも、僅かな遺産につき、亡直の認知した子らとの間に紛争があって調停中であり、また、被告超文に対する第一建物の明渡請求訴訟が係争中であったので、これが終わって、自ら同建物を使用し食堂の経営をすることができるまで、賃料値上げを待ってほしいと原告に頼み、賃料を供託してきた。

(六) 被告笹山が本件転貸の事実を原告に秘匿したことはない。同被告は、亡直の生前、同人から、同人の設立した笹山商事の経営するレストラン「三久」のマネージャー(責任者)をしていた永島豊子の後任として被告超文を採用し、従業員としてその業務を取り仕切らせているものと聞いており、亡直が永島豊子に転貸し、被告超文が転借権を譲受けたという事実はないものと思っていた。そして、被告笹山は、昭和五〇年九月当時、一人身となって生活上の不安にかられていたところへ、原告から、文書で、賃料増額請求に加えて、本件転貸のことにも触れて、「出入口を釘付けにする。」等と実力行使に出るかの如き態度を示されたので、正当な反論を示して実力行使を阻止するため、自己の信ずるままを書いた手紙を原告に送ったのである。

(七) 本件転貸(賃借建物の一部の転貸)により、原告が格別利益を害されることはない。これに加えて、被告超文は、前記のとおり、従業員として「三久」で働いていた者であり、同被告が自己の採算において営業を始めてからも、原告への賃料は亡直が支払うが、被告超文が営業収入の内から一定割合の利益金を支払うとの約定のもとに、経営をしているもので、使用の実体は、右両名の共同経営的なものである。

5  (解除権の消滅時効)

本件転貸を理由とする原告の賃貸借契約解除権は、本件転貸のなされた日の昭和四二年四月七日から一〇年を経た同五二年四月七日の経過をもって、時効により消滅したから、右時効を援用する。なお、無断転貸を理由とする契約解除権については、賃貸人の覚知・不覚知にかかわらず、無断転貸がなされた時から消滅時効が進行するものと解すべきである。

また、仮に右時効が賃貸人において転貸の事実を知った時から進行するとしても、原告は本件転貸の事実をその当初から知っていたものであり、あるいは、原告の代理人藤森において、本件転貸の当初から、もしくは遅くとも昭和四六年一月ころ亡直から練馬のビル建築について相談を受けた時に、右事実を知っていたものであるから、その時から時効期間を起算すべきである。

6  (権利濫用)

原告主張の、本件各建物についての賃貸借契約の解除及び解約は、以下の事情に鑑み、いずれも権利の濫用にあたり、許されない。

(一) 原告は、中央区新富町周辺にある本件各建物を含む二六戸の家作並びに第二建物の敷地及び同区銀座一丁目所在の貸地等の土地を所有し、家賃・地代の収入だけでも一か月約一七〇万ないし一八〇万円を得る有数の資産家であり、本件各建物も従来から家賃収入を得る目的で賃貸してきたもので、もとよりこれを自己使用する必要はない。

(二) 他方、亡直は、第一建物を昭和五年以来、第二建物を同一五年以来それぞれ賃借し使用し続けてきたものであり、前記1(三)のとおり、契約上の義務がないのに、自己の費用負担において右各建物を修繕し、その維持・改良に努め、また、源次郎及び原告からの賃料値上げの要求にもその都度応じてきた。

(三) 前記1(二)のとおり、源次郎は、昭和一九年ころ、亡直に対し、本件各建物の転貸を勧めていた。

(四) 源次郎、原告及び藤森は、前記2(一)のような第一建物の使用状況を知っていながら、異議を述べることがなかった。

(五) 原告は、亡直が死亡し、被告笹山が女の一人世帯になったとみるや、ただちに賃料の増額を請求し、同被告がこれに応じなかったため、急遽明渡請求に方針を変更し、契約解除に至ったものであり、すなわち、亡直が存命しているか又は被告笹山が賃料増額に応じていれば、解除に至らなかったものである。

(六) 被告笹山は、本件各建物を今後も自ら使用する必要があるので、苦しい経済状態の中から、昭和四八年五月以来賃料を供託し続けているのであり、今明渡をさせられることになれば、これにより被る生活上の不利益・損失は極めて大きいのに対し、原告は、明渡を得られなくとも、格別の損失ないし不利益を被ることはない。

五  被告張両名の抗弁

1  (黙示の承諾)

(一) 訴外永島豊子は、亡直から第一建物の一階の内表側七坪五合の部分と二階を転借し、一階においてレストラン「三久」の営業をしていた。被告超文は、昭和四二年四月七日、永島豊子からその営業権とともに右建物転借権を譲受け、同日、亡直との間に、賃料一か月四万円、期間三年と定める転貸借契約を締結した。

(二) 右転貸借契約は、期間満了後は法定更新され、また亡直が昭和四八年二月二七日に死亡した後は、被告笹山が転貸人の地位を承継して現在に至り、賃料は月額六万〇五〇〇円となっている。

(三) 亡直は、昭和四二年以前から、第一建物を麻雀店、喫茶店、レストランの営業用店舗兼住居として第三者に転貸し、被告超文がこれを転借した後は、中華料理店の店舗兼住居として右建物を公然と占有してきたが、原告は、これらの事実を知りながら異議を述べず、転貸を黙示に承認していたものである。

2  (解除権の失効)

本件転貸につき原告が承諾をしていないとしても、原告が久しきにわたって解除権を行使せず、被告らにおいては解除権がもはや行使されないものと信頼すべき正当の事由が存するに至ったので、その後に原告がこれを行使することは信義誠実に反すると認められる特段の事由があるというべく、解除は許されない。

(一) 被告超文は、昭和四二年四月七日、亡直から第一建物を転借して以来、公然とこれを占有し、本件訴訟提起に至るまで一四年の年月を経ている。しかも、それ以前にも、右建物は、他の第三者が順次転借していた。

(二) 被告超文は、昭和五〇年四月、原告の義兄藤森に対し、第一建物を被告笹山から転借しているが、同被告の転居先が不明で、家賃、光熱費の支払について不都合があるので、原告と被告笹山とで話合って、原告から被告超文に直接賃貸してもらいたい旨を述べ、その要望は原告に伝えられた。原告は、右転貸借の事実を知りながら、その後も数年間解除権を行使しなかった。

3  (権利濫用)

被告超文は、昭和四二年四月七日、転借権の譲受の対価として二八〇万円を支出し、以来第一建物において、当初はレストラン、次いで中華料理店を経営し、一四年間に顧客も定着し、妻と子二人の生計を維持しており、仮に原告の解除が有効とされるならば、生計の基盤と住居を失い、多大の損害を被る。他方、原告は、建築業を営み、他に貸家、貸地の資産を有し、第一建物は他人に賃貸し、家賃収入を得ることを目的としており、本件転貸は、原告に対し何ら損失を及ぼさないし、原告と被告笹山との間の信頼関係も破壊しない。したがって、原告の解除権の行使は権利の濫用である。

4  以上のとおり、被告超文は、同笹山の原告に対する賃借権に基づき、同被告から第一建物を転借しているものであり、被告張何貞英は、同超文の妻として右建物を占有しているものである。

六  被告笹山の抗弁に対する原告の認否

1  被告笹山の抗弁1の事実は否認する。

2  同2の事実は否認する。本件転貸に際し、亡直と被告超文とは、原告に対して転貸の事実を秘匿するため、レストラン三久を右両名の共同経営とする旨の同意書を交わし、被告笹山も、原告に対し、昭和五〇年九月九日付書面等において、被告超文が笹山商事の使用人であり、同被告に転貸しているものではない旨虚偽の事実を述べていた。そのため、原告は、当時本件転貸の事実を知らず、昭和五六年二月下旬、その訴訟代理人の調査によって初めて右事実を知ったものである。

3  同3の事実は否認する。

4  同4の事実は否認する。右のとおり、転貸の事実を隠蔽する行為は悪質な背信行為である。

5  同5の主張は争う。

(一) 無断転貸は、その状態の継続している限り、賃貸人と賃借人との間の信頼関係を不断に破壊するものであり、したがって、これを理由とする賃貸人の契約解除権も不断に発生するものと解すべきであって、その時効消滅を論ずる余地はない。

(二) 仮に右解除権が消滅時効にかかるとしても、その起算日は賃貸人が無断転貸の事実を知った時とすべきであり、原告が本件転貸の事実を知ったのは昭和五六年三月である。

(三) 仮に解除権の消滅時効の起算日が原則としては無断転貸開始時であるとしても、本件においては、被告笹山は、原告に対し、昭和五〇年九月九日付書面等において、被告超文が使用人にすぎず、転貸はしていない旨を言明しており、このような特段の事情がある場合には、時効期間は、右言明がなされた時から進行を開始し又は改めて進行するものと解すべきである。

6  同6の冒頭の主張は争う。その(一)については、原告が本件各建物を自ら使用する必要はないにしても、当事者間の信頼関係が完全に破壊されているので、明渡を求める必要があるのである。(二)の内、亡直が賃借使用を始めた時期は認め、その余の事実は否認する。(三)ないし(六)の事実は否認する。被告笹山は、昭和五一年八月六日、訴外通場清朔と婚姻し、市川市の同人の住居で生活しているので、第二建物に居住する必要はない。

七  被告張両名の抗弁に対する原告の認否

抗弁1(三)の事実は否認し、同2及び3の主張は争う。

八  原告の再抗弁

仮に本件転貸を理由とする契約解除権について消滅時効が完成しているとしても、被告笹山が時効を援用することは、権利の濫用であり、信義則に反し、許されない。

すなわち、亡直と被告超文は、原告に対し転貸の事実を隠蔽するため、転貸でないとする証拠を捏造し、第一建物には被告超文の表札も掲げられていない。また、原告は、無断転貸ではないかとの疑いを持ち、かつ、被告笹山が第二建物に居住せず空屋にしていることから、同被告に対し、事情の説明を求めるべく、原告方への来訪を要請する書簡(昭和五〇年七月八日付から同年九月三日付まで四通)を送付したところ、同被告は、原告に対する返信において、「三久は亡直が笹山商事の事業の一部として営業していたもの」で、「被告超文に笹山商事の使用人として三久の仕事をさせていたが、本年四月被告超文を解雇し店舗明渡の訴を起しており、同被告はあくまで笹山の使用人であってこれに転貸しているわけではない。」旨虚偽の言明を行い、原告を欺いた。しかも、被告笹山は、昭和四九ないし五〇年ころから、第二建物に居住せず、原告に対しても所在を連絡して来ず、原告の面談を求める書簡に対しても、前記のような内容の返書を送付するのみで、原告に実情を把握させまいとしていた。このような亡直、被告笹山及び同超文らの行為は、原告の解除権の行使を不当に妨げるものであり、このような妨害を行った被告笹山が消滅時効を援用することは、許されないというべきである。

九  再抗弁に対する被告笹山の認否

再抗弁中、原告主張の記載のある書簡のやりとりがあったことは認め、その余の事実は否認し、時効の援用が許されないとする主張は争う。被告笹山の右書簡は、当時の同人の信ずるところをそのまま述べたもので、事実を隠蔽する意図は全くなかった。

第三証拠関係《省略》

理由

一1  請求原因1の事実は、各当事者間に争いがない。

なお、被告笹山は、本件各建物の所在地番を争うようであるが、《証拠省略》を対照すれば、土地の分筆の結果、登記簿上の地番と現況所在地との間に別紙物件目録記載のとおりの相違を生じたにすぎないものと認められる。

2  同2の事実については、《証拠省略》により、源次郎が昭和二〇年一一月三〇日死亡し、原告が家督相続をしてその権利義務を承継した事実が認められ、その余の事実は争いがなく、原告と被告両名との間においては全て争いがない。

二1  同3の本件転貸の事実は、第一建物の内一階裏側の三・七五ないし四坪の部分が目的に含まれるか否かの点を除き、各当事者間に争いがない。

右裏側部分について検討するに、《証拠省略》によれば、亡直と被告超文との間の転貸借契約においては、第一建物の一階の内従前亡直が事務所として使用していた裏側部分を除く趣旨で、転貸の目的を一階の一部七坪五合(二四・七九平方メートル。なお、《証拠省略》に「一八・一八平方メートル(約七坪半)」とあるのは換算の誤りと推測される。)及び二階と表示したが、右裏側部分には便所、階段、通路が含まれていること、被告笹山が同超文に対して転貸建物の明渡を求めた訴訟(東京簡易裁判所昭和五〇年(ハ)第八七九号)において、被告笹山は裏側部分を請求対象から除外していたのに対し、同超文側では、転借の範囲に裏側部分の階段、便所、通路を含む旨を主張したこと、右建物中にもう一つあった便所は被告超文が転借後に取壊し、したがって、右裏側部分の内少なくとも便所、階段、通路は被告張両名において使用せざるをえないこと、以上の事実が認められ、この事実によれば、亡直及び被告笹山は、転貸借契約に表示した部分に付随して、裏側部分の一部をも被告超文に使用させていて、使用除外区分は明確にされていないものと推測されるから、結局、被告超文の占有使用は第一建物全体に及んでいるものと認めるべきである。被告笹山の尋問の結果中この認定に反する部分は採用しない。

2  同4の契約解除の事実は、原告と被告笹山との間において争いがなく、《証拠省略》によって、これを認めることができる。

三  右解除の効力に関する被告らの抗弁及びこれに対する原告の再抗弁について、以下判断する。

1  事前の承諾(被告笹山の抗弁1)について

第一建物の元の賃借人竹村勝と亡源次郎との間の賃貸借契約に転貸許容の約定があったという事実については、これに関する被告本人笹山の供述は、後日の伝聞に基づくものであることが明らかであり、他に何らの裏付がなく、採用することができない。次に、昭和一九年の住宅事情のもとで、あるいは、亡直が建物修繕費用を支出したこと等により、源次郎が転貸を承諾したとの主張についても、右本人の供述は漠然としており、これによって明確な承諾があったものとは認めるに足りず、他に右主張事実を認めうる証拠はない。

2  黙示の承諾(被告笹山の抗弁2及び3、被告張両名の抗弁1)について

(一)  被告笹山は、その抗弁2(一)のような昭和四二年以前の第一建物の使用方法につき源次郎及び原告から異議がなかったことをもって、本件転貸についても、異議を述べないことが黙示の承諾となるということの証拠とするものと解される。被告人本人笹山の尋問の結果によれば、概ね右主張のような使用経過があったことが認められるが、その内、旧海軍省の連絡駐在所に使用させたことは、軍需に応じたやむをえない措置として、戦時下において異議を述べうる事柄ではなかったと推測されるし、その余の使用は、右尋問結果によっても、亡直自身又は同人の経営する会社による使用であると窺われるので、賃貸人側がこれらに異議を述べなかったことは、転貸を承諾することには何ら結びつくものではないと考えられる。

(二)  次に、本件転貸について、原告自身がその事実を知りながら異議を述べず、これを黙認していたという事実を認めるに足る証拠はない。かえって、《証拠省略》によれば、源次郎の死亡後、原告は、本件各建物を含む所有不動産の管理一切を姉の夫の藤森に委ね、賃貸借契約締結、賃料増額等を含む権限を同人に与えており、したがって、本件各建物の使用状況を知らず、昭和五三年一二月に同人が死亡した後、書類を整理して初めて、第一建物につき転貸の疑いがある事情を知ったものであり、転貸の事実を知って異議を述べなかったものではないことが認められる。

(三)  右のとおり、藤森は、原告所有の不動産を管理し、賃貸借契約の締結等を含む権限を有していたのであるから、転貸について承諾を与える権限も有していたものと推認される。

《証拠省略》によれば、藤森は、昭和四八年ころには、被告張両名が第一建物における営業に携わっていることを知っていたが、当時はそれが転貸によるものであるとまでは認識していなかったこと、亡直の死後、被告笹山と被告張両名との間に紛争が生じ、同笹山は、昭和五〇年三月三一日到達の意思表示によって、同超文との間の転貸借契約を解除し、同年四月二五日ころ、同被告に対し第一建物の明渡を求める前記訴訟を提起し、他方、被告超文の妻の同張何貞英は、右紛争発生後初めて、右建物が原告の所有で、その管理人が藤森であることを知り、同年四月ころに、藤森に会い、被告笹山との間に紛争があり、かつ、同被告の居所が知れなくなっていることを告げ、原告から被告超文へ直接賃貸してくれるよう懇請したが、藤森は、被告笹山を交えて話さないと決められない旨を答えたこと、同年七月から九月にかけての書簡の往来において、藤森は、原告名で、被告笹山に対し、家賃の増額分の支払請求及び同被告が現実に第二建物に居住していないことを理由とするその明渡請求等とあわせて、店舗「三久」につき「近隣の方のお話により転貸のこと明らかになり」、これについて話合いをしたいので来訪を求める旨を告げ、これに対し、同被告は、店舗三久は亡直が自己の事業の一部として経営し、被告超文を使用人として仕事をさせていたもので、転貸しているわけではなく、かつ、同被告に対し明渡請求訴訟中である旨回答したこと、そして、当時それ以上の話合いがなされないまま時日を経過するうちに、藤森が死亡するに至ったこと、被告笹山と同超文との間の前記訴訟においては、昭和五一年九月二九日、明渡請求棄却の第一審判決があり、控訴、上告を経て、同五四年二月六日、上告棄却により右第一審判決が確定したこと、以上の事実が認められ、これに反する証拠はない。

右事実によれば、藤森は、昭和五〇年ころには、転貸の疑いを持ち、被告笹山に対しその説明と話合いを求めていたものと認められるが、藤森が転貸を容認する意思であったとは認められず、せいぜい被告笹山の弁明にあって、前記訴訟の推移を静観する態度であったにすぎないと推測される。したがって、藤森が本件転貸を黙示に承諾したとの被告笹山の主張事実はこれを認めるに足りない。

3  背信性(被告笹山の抗弁4)について

被告笹山の抗弁4の内、(一)の事実、(三)の内修繕に関する事実、(四)及び(五)の各事実は、ただちに本件転貸の背信性を減殺する事情になるとは解されず、(二)の事実及び(三)の内賃料が割高であったとの事実については、被告本人笹山の尋問の結果はただちに信用しがたく、他にこれを認めるに足る証拠はない。また、同(六)及び(七)の事実についてみるに、被告笹山が、同超文との間の転貸借契約を解除し明渡請求訴訟を提起していながら、藤森に対しては転貸の事実を否定する回答をしていたことは前記認定のとおりであり、《証拠省略》によれば、第一建物には依然被告笹山の表札のみが掲げられていることが認められ、更に、《証拠省略》によれば、被告張は、本件転貸にあたり、訴外永島豊子との間に、同人から転借権を譲受ける合意をしたうえで(同人がいつから転借していたかは明らかではない。)、亡直との間にあらためて賃貸借契約書を取交わしたが、その際、被告超文と亡直とは、両者が「レストラン三久」を共同経営する旨の同意書及び右同意書は家主に対する便宜上の書類で、実際には共同権利は無効であることを証する旨の念書を作成して、原告に対する関係で転貸の事実を隠蔽する行為をしたことが認められ(《証拠判断省略》)、この事実によれば、抗弁4(七)の共同経営的な使用の実体である旨の主張は事実と異なるものであり、転貸当初から転貸の事実を秘匿する工作があったもので、その背信性は著しいものというほかはない。そのほかに、背信行為と認めるに足りない特段の事情の存在を裏付けるべき事実は、全証拠によってもこれを認めることができず、したがって、この点の抗弁も採用しない。

4  解除権の失効(被告張両名の抗弁2)について

本件転貸の時から原告の賃貸借契約解除の時までに長期間を経過したことは、被告張両名主張のとおりである。しかし、その間、昭和五〇年四月ころまでに、藤森において、転貸の事実を知っていたとしても、同人が被告笹山に対しそれについての話合いを求め、同被告が転貸の事実を否定し、他方同被告と被告超文との間に係争中であったなど前記認定の事実に照らし、昭和五六年四月になされた解除権の行使が信義誠実の原則に反するものということはできず、いわゆる解除権の失効の原則の適用をいう被告張両名の主張は採用することができない。

5  消滅時効(被告笹山の抗弁5及び原告の再抗弁)について

(一)  無断転貸を理由とする賃貸借契約の解除権は、無断転貸がなされた時からこれを行使しうるものであるから、右の時を起算日として一〇年の経過をもって消滅時効にかかるものと解すべきであり、これと異なる原告の主張は採用しない。

(二)  しかしながら、前記2(三)、3認定のとおり、すでに本件転貸当初において、亡直と被告超文との間で、原告に対し転貸の事実を隠蔽する目的の書面が作成されており、昭和五〇年には、被告笹山が、同超文に対しては、転貸借契約の存在を前提とし、その終了を主張する訴訟を提起していながら、原告側に対しては転貸の事実を否定して、転貸を理由とする解除権の行使を妨げていたのであるから、その後において被告笹山が解除権の消滅時効を援用することは、信義に反し権利の濫用であって許されないものというべきであり、再抗弁は理由がある。

6  権利濫用(被告笹山の抗弁6、被告張両名の抗弁3)について

《証拠省略》によれば、原告は、もと土木建設業の株式会社竹田組を、現在は不動産管理業の株式会社中山社をそれぞれ経営するとともに、個人所有の二六件の土地建物を他に賃貸して収入を得ているもので、本件各建物を自ら使用する必要があるわけではなく、他方、被告張両名は、第一建物を生活の本拠とし、その店舗から得る収益を唯一の生計の資としているので、これを明渡すときは少なからぬ損害を被ることが認められる。しかしながら、無断転貸はそれ自体が背信行為であり、しかも転貸借契約に際して転貸人と転借人とが通謀して隠蔽工作をした等の前記認定事実によれば、その背信性の程度は著しいので、賃貸借契約の解除によって転借人が損害を被ることもやむをえないことというべきである。また、原告が、亡直の死後被告笹山の困窮に乗じて、同被告を害する意図をもって契約解除に及んだという事実を認めるに足る証拠はなく、そのほか、同被告が権利濫用の事由として掲げる事情は、いずれも前記3に判断したところと同様に、その前提とする事実が認められないか、あるいは解除権の行使を妨げる理由とするに足りないものである。したがって、被告らの権利濫用の主張も採用しない。

四  以上の次第で、第一建物の賃貸借契約は解除されたものであり、被告張両名が右建物を占有している事実は、裏側の約四坪の部分を除き、当事者間に争いがなく、前記二1のとおり、右被告らの占有は、右裏側部分を含む右建物全部に及んでいるものと認めるべきである。したがって、原告の被告らに対する明渡請求は理由があるということができる。

五  次に、第二建物の明渡請求について判断する。

1  信頼関係破壊(請求原因6)について

請求原因6の内、原告が第二建物の賃貸借契約解除の意思表示をした事実は、当事者間に争いがなく、亡直及び被告笹山において、第一建物の賃貸借契約における信頼関係を破壊する行為があったことは、すでに認定したとおりである。しかし、第一建物の賃貸借契約と第二建物のそれとは別個に締結されたもので、両建物は隣接してはいるが、使用目的も異なるものであるから、前者についての賃貸借契約関係における信頼関係の破壊が当然に後者についての契約解除理由になると解することはできず、この点の原告の主張は失当である。

2  解約申入れ(請求原因7)について

(一)  原告が、本件訴状をもって、被告笹山に対し、第二建物についての賃貸借契約解約の申入れをし、右訴状が昭和五六年六月六日同被告に送達されたことは、記録上明らかである。

(二)  右解約の正当事由について検討する。

(1) 前記1のとおり、第一建物の賃貸借契約における信頼関係が破壊されている事実は、それだけでは第二建物の賃貸借契約の解除理由とするに足りないものの、賃貸人の心情として、そのような信頼関係の失われた賃借人との間に契約を存続させることに困難を覚えることは、もっともなことであり、これを解約申入れの正当事由を構成する一事情として斟酌すべきである。

(2) 《証拠省略》によれば、同建物は、未だ朽廃には至らないものの、相当に老朽化し、遠からず大修繕又は改築を要するに至る状態にあることが認められる。《証拠判断省略》

(3) 《証拠省略》によれば、被告笹山は、第二建物に居住していたが、亡直の死後、被告張両名との間に紛争が生じたこともあって、長期間不在勝ちとなり、藤森や被告張両名にとっても、所在を容易に知りえない状態となったこと、被告笹山は、昭和五一年八月六日、訴外通場清朔と結婚して、それ以来千葉県市川市で同人と生活しており、住民票上の住所は依然第二建物の所在地に置いているものの、同建物には時折帰って来ることがあるにすぎないことが認められ、同建物を使用する必要性は乏しいものと窺われる。被告本人笹山の尋問の結果中この認定に反する部分は採用しない。なお、被告笹山の主張によれば、同被告は、第一建物の返還を受けて自らその店舗で営業したく、その暁にはいっそう第二建物に居住する必要があるというのであるが、前記のように被告張両名に対する第一建物の明渡請求訴訟が敗訴に終わっている現状では、右は現実性の乏しい願望というほかはない。

(三)  右(二)の事情を総合すれば、原告のした解約申入れには正当の事由があるものと認めるべきであり、なお、右事由の存在にかかわらず右解約申入れを権利濫用と認めるべき事情は、全証拠によってもこれを認めることはできない。したがって、右解約申入れにより、第二建物の賃貸借契約は、昭和五六年一二月六日の経過をもって終了したものである。

3  したがって、請求原因8項について判断するまでもなく、原告の被告笹山に対する第二建物の明渡請求は理由がある。

六  次に金銭請求について判断する。

1  昭和四八年四月当時の約定賃料月額が第一建物につき三万八〇〇〇円、第二建物につき二万九〇〇〇円であったこと、被告笹山が原告に対し同年六月分以降右賃料合計月額六万七〇〇〇円を弁済供託していることは、《証拠省略》によってこれを認めることができる。また、《証拠省略》により、原告が被告笹山に対し同年六月分以降の賃料を第一建物につき月額六万円、第二建物につき同四万円に増額する請求をした事実が認められる。

2  第一建物の適正賃料について検討する。《証拠省略》によれば、被告笹山と同超文との間の転貸借契約における賃料は、昭和四八年六月当時月額五万五〇〇〇円、同四九年三月以降月額六万〇五〇〇円であったことが認められ、他に反証もないので、昭和四八年六月当時の原告と被告笹山との間の賃料の適正額も月額五万五〇〇〇円を下らなかったものと推定するのが相当であるが、それを超える額が適正であったことを認めるべき資料はない。したがって、原告の増額請求は、右の限度で増額の効果を生じたものと認めるべきである。

3  第二建物は、前記のとおり昭和三年ころ建築された建物であり、九九平方メートルに満たない居住用建物であるから、賃料額について地代家賃統制令の適用を免れないと解されるところ、同令による統制賃料額が従前の約定賃料額を超えるものであることを認めるべき資料は何ら存在しないので、右建物の賃料について原告の請求による増額の効果を生じたものとは認められないというほかはない。のみならず、従前の約定賃料額が同令に適合していたか否かを確認するに足る資料もないので、賃貸借終了後の占有継続による損害賠償としても、原告において右約定賃料と同額を適正賃料相当額として当然に請求しうるものということはできず、法律上請求しうる適正賃料相当額を確定することはできない。

七1  以上の次第で、原告の本訴請求は、次の部分について理由がある。

(一)  被告ら各自に対し、第一建物の明渡、契約解除の日の翌日の昭和五六年四月九日から明渡ずみまで一か月五万五〇〇〇円の割合による賃料相当損害金の支払

(二)  被告笹山に対し第二建物の明渡

(三)  被告笹山に対し、昭和四八年六月分から同五六年三月分までの第一建物の従前の賃料と増額賃料との差額として一か月一万七〇〇〇円の割合による合計一五九万八〇〇〇円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和五六年六月七日以降民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払

2  原告の被告らに対するその余の金銭請求は失当である。

3  よって、右1の限度で本訴請求を認容し、その余の請求を棄却し、民訴法八九条、九二条、九三条、一九六条を適用し、なお、主文第一項中の建物明渡を命ずる部分については仮執行宣言を付するのは相当でないので、その部分の仮執行の申立を却下することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 野田宏)

<以下省略>

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